革新的でサステイナブルな革エコーレザーが上陸

オランダのレザーメーカー、エコーレザーは6月5日、東京にショールームを開設した。常時250種類のサンプルをそろえ、日本に向けた販売を始める。エコーレザーはデンマーク発シューズブランド「エコー(ECCO)」の自社工場であり、現在は他のブランドに向けてレザーの販売も行っている。

同社は、革新性とサステイナビリティーを念頭に置いたモノ作りが高く評価されており、ラグジュアリーブランドをはじめアップル社やロールス・ロイス社といった名門企業にレザーを供給する。オランダ・ドンヘンにある革なめし工場にはR&Dセンターを併設し、日々実験的なレザーの加工に取り組み、これまでに透けるレザーの“アパラシオン(APPARITION)”や熱で色が変わる“クロマタファー(KROMATAFOR)”などを開発し、商品化している。2018年には、大量の水が必要とされるなめし工程でほとんど水を使わない技術“ドライタン(DriTan)”を開発。節水だけでなく、化学物質の使用を最小限に抑えることにも成功し、オランダ工場では年間600トンの汚泥の削減に成功した。また、その技術を競合他社に無償で提供している点も評価されている。

ショールームの開設に合わせて来日したパノス・ミタロス(Panos Mytaros)=エコーレザー代表兼エコー上級副社長に、技術開発の進捗と日本での展望を聞く。

パノス・ミタロス=エコーレザー代表兼エコー上級副社長(以下、ミタロス):年間で約2500万リットルの水を節約できるようになった。これは9000人が年間に必要とする水の量に匹敵する。最終目標は水に使わずレザーを作ること。現在取り組んでいるのは水を用いない染色で、機械や薬品の開発をしているが、試行錯誤の連続だ。

その通り。特にラグジュアリー部門が伸びている。しかし、売上高は前年比10%増程度に抑えるようにしている。それ以上になると組織自体を変える必要が出てくるからね。今はレザーの価値をさらに高めて成長することを目標にしている。強調したいのは、私たちは宣伝のためにサステイナビリティーを追求しているわけではないということ。ブランド側からサステイナブルであってくれと言われているからでもない。私たちは信念を持ってやっている。人間が生きている以上、地球は汚染され続けるといわれているけれど、私自身はそれを信じていない。人間もクリーンでいることはできる。私たちは環境への負荷を軽減することが使命だと考えている。

正しいことをしているという自信があるし、それが僕の使命だと思っている。「エコー」創設者のカール・ツースビー(Karl Toosbuy)も同じで、それが「エコー」のカルチャーだ。いい技術を開発してシェアすることは業界自体を盛り上げることになるし、結果的にいい商品がたくさん生まれるでしょう?

先ほどの水や薬品の使用量を減らすことに加え、素材という意味では、原料となる動物がどこで育ちどこで買った革かが分かるトレーサビリティーを確立している。もちろんエシカルに育ったという点もポイントにしている。工程の消費電力の削減はもちろん、19年末までにはオランダ工場は、太陽光発電とゴミから作るバイオガスの自社発電で100%賄う。当社のその他のタイ、インドネシア、中国の工場も順次切り替えていく予定だ。例えば、中国やタイの工場ではすでにソーラーパネルを設置しているし、インドネシアの工場はバイオガスを用いている。全ての工場で自社発電100%になる計画だ。

ゴミを最小限に減らし、クリーンエナジーを用いて、1年後には生分解するレザーかな。そのためにあらゆる工程で薬品を取り除く努力をしている。新しい薬品の開発にはとても時間がかかるし、開発できたとしても同じ色が出るかどうかは分からない。クオリティーを担保しながら取り組んでいるところだよ。例えば、透けるレザーの“アパリシオン”は100%ケミカルフリー。ただしグリセリンを用いているからのりは使えない。だから縫うしかないのだけれどね。革新的なことをするにもサステイナブルな方法を常に考えている。私の夢の一つは、一人一人のカスタマーの要望に応え、彼らが指定した色を店の中で作ってすぐに渡すこと。(親会社のエコーは)コンフォートシューズ“クアントゥー”でやり遂げたよね。

日本にはクリエイティブなデザイナーがたくさんいて、彼らは素材の限界を超えるようなリクエストをするでしょう?素材の良さを生かせる力もある。新しいイノベーションが生まれるところだと考えていたから。実は2年前に日本で開いたワークショップで、そこに集まったクリエイターたちの能力の高さにとても驚いたんだ。彼らとなら新しいものが作れると直感的に思ったし、そこから日本支部を作りたいと思いはじめ、ようやく実現できたというところかな。

もちろん販売はする。だが、ベーシックなレザーをとにかくたくさん売ろうと思って日本に来たわけではない。日本には、さまざまな意見を出し合いながらモノ作りをする文化がある。そうした革作りをしたい。究極を言うと、一般の人が小ロットでも買えるような環境をつくりたい。和紙工房から和紙を1枚買うような感覚でね。もちろん、意義のある取り組みかどうかも検討する必要はある。

われわれには、純粋なクリエイティブマインドを持った人と取り組みたいという気持ちがあるんだ。だからニューヨーク、ロンドン、パリ、デンマークのファッションスクールの学生たちと取り組んでいるが、それを日本の学生ともしたいと考えている。具体的にはインターンのような形で学生をオランダの工場に招き、3カ月ほどの滞在で、技術に触れてもらいながら最終的には自分の作品を作ってもらっている。学生はレザーとのタッチポイントが少ないので、学生の可能性を広げたいとも考えている。

「シャネル」が春画展を開催 春画とブランドをつなぐストーリーとは?

シャネルは東京・銀座のシャネル・ネクサス・ホール(CHANEL NEXUS HALL)で、展覧会「ピエール セルネ&春画」を行っている。4月7日まで。喜多川歌麿や葛飾北斎ら、名だたる浮世絵作家による春画とフランスの現代作家ピエール・セルネ(Pierre Sernet)の作品を組み合わせた、時空を超えたコラボ展だ。

さて、“春画”という言葉から何を連想するだろう?春画は江戸時代には“笑い絵”とも称され、性描写と笑いが同居したユーモアあふれる芸術性の高い浮世絵として認知されていたという。だが、時代と共にイメージが変化し、時として色眼鏡で見られがちな母国日本に対し、海外での注目は年々高まりを見せている。その最たる要因は、2013年10月より約3カ月にわたって大英博物館で行われた展覧会「Shunga : Sex and Pleasure in Japanese Art (春画:日本美術における性のたのしみ)」展が成功を収めたこと。同展はおよそ9万人という来場者を迎えた。

こうした経緯をよく知る人物の一人が、今回のシャネル・ネクサス・ホールでの展覧会に春画のコレクションを出品している浦上満氏。浦上氏は、東洋古美術の専門美術商「浦上蒼穹堂」創立者であり、前述の大英博物館の春画展にも出品者ならびにスポンサーの一人として協力した人物だ。氏いわく、「(性的描写の部分で日本では色物として扱われることもあるが)良い春画はきれいなんです」。ちなみに、浦上氏は父親が浮世絵ならびに東洋陶磁のコレクターで、山口県立萩美術館の浦上記念館は、その名の通り浦上氏の父親が浮世絵と東洋陶磁を寄贈したものだ。そんな家庭環境も伴い、浦上氏が学生時代に魅了され収集した「北斎漫画」(葛飾北斎のスケッチ画集)は1500冊ほどに上るという。

大英博物館での展覧会後、海外からは浦上氏に続々と春画コレクションの出品依頼が届いた。そんな中、浦上氏は日本での春画展の開催を夢見て、その実行委員会の中心人物として奔走。そして遂に15年9月、東京・目白台の永青文庫にて念願の「春画展」を実現した。この展覧会の図録作成にあたり寄稿を願った人物こそが、日本文化に造詣の深いリシャール・コラス氏(Richard Collasse、シャネル(株)の前社長で、現在は同取締役会長兼本国のトラベル・リテール事業の責任者)。その時の出会いがおよそ4年の歳月を経て、シャネル・ネクサス・ホールでの本展開催につながった。

「ピエール セルネ&春画」展はコラス氏の発案により実現。春画と絶妙な“対”をなすのは、パフォーマンスアーティスト・写真家として活躍するピエール・セルネの写真作品「Synonyms(類似表現)」だ。彼のミニマル・アートとも称したい、極シンプルなラインが描写するセクシーな作品は、鑑賞者のイマジネーションの世界を豊かに花開かせてくれる。「文化的、民族的に異なる背景を持つ個人とカップル、両方の肉体を撮影した。直接的ではなく、彼らの影が残す束の間のカタチだけを記録することを選んだ」と、セルネ氏はコメントしている。モノクロのシルエットが浮かび上がる作品と、その被写体の名前のみが記されたタイトル。そこには、性別、国籍を超えて派生する多様性と共通性、そして異なる文化の受容、という作家の深遠なる思いが込められていると聞き、心ときめく。

本展では、シャネルならではのエスプリの効いた会場構成も楽しみの一つにもなっている。あたかも江戸時代と現代を自在に行き交う“アートな春”の小路散歩のような設えがお待ちかねだ。なお本展は前期と後期で作品の入れ替えが行われる。また4月13日から5月12日まで開催されるKYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭のプログラムとして巡回予定だ。

ウサミヒロコ:幼少期より関心の高かった「デザイン」(ファッション&シネマ、アート&インテリア、ウエルネス&グルメなど)への情熱を、FMラジオ番組制作からスタートし、雑誌、書籍、新聞、ウェブなどのメディアにて、国内外問わずさまざまなチームプレーで活動を続けるライフスタイルジャーナリスト。取材を通じて訪れる国々で出会う、多国籍の人々との交流を愛する東京オリンピック開催地周辺生まれの東京人